「割算書」に書かれた「アダムとイブの割り勘」('24.05.31)#
「塵劫記」に先立つ「割算書」は創世記に始まる#
昨日は塵劫記に書かれたイエズス会の「黒船問題」を解いた。 「塵劫記(1627)」を書いたのは、江戸時代前期の和算家だった吉田光由である。 吉田光由が師事したのは毛利重能、「割算書(1622)」の著者だ。
割算書の序文はこのように始まる。
割算書 序文
夫割算と云は、寿天屋邉連と云所に智恵万徳を備はれる名木有。此木に百味之含霊の果、一 生一切人間の初、夫婦二人有故、是を其時二に割初より此方、割算と云事有。※
※ユダヤのベレン※※という場所に「知恵の樹」があった。その樹に実るのが全ての味を持つ果実。世界で最初の人間の夫婦がその果実を2つに割った。その時、世界に割り算が生まれた。
※※平山諦『和算の誕生』は、邉連=ヘレン(ベツレヘム)だと書くが、邉連=エデン(eden)と読む想像もできる。
アダムとイブの割り勘で、世界に割り算が生まれた#
これは、明らかに聖書「創世記」に描かれた物語だ。 つまり、アダムとイヴが知恵の樹の果実を「2人で半分づつ」で食べたから、その時、世界に割り算が生まれたという宣言で「割算書」は始まる。 今、この世界に割り勘、そして算術としての割り算が存在するのは、イブとアダムが某所で禁断の実を食べたからだ……という世界解説から、割算書のページは書き始められるのだ。 ……とても面白い解説である。
ただ2で割る単純な計算も、世界を創る物語#
というわけで、今日は1/2=0.5という計算をしてみる。 ただ2で割るだけの単純な計算だと思ってはいけない。 たとえば、1と2という自然数から0.5という少数も生まれていたりする。 これは世界を創る物語であり、最初の第一歩なのだ。
import numpy as np
# 知恵の樹の果実
fruit = 1
# イブが果実を食べて、イブが好きなアダムも割り勘して食べる
eve, adam = np.array([fruit,fruit])/2
print("イブは", eve, "個食べる。")
print("アダムも", adam, "個食べる。")
イブは 0.5 個食べる。
アダムも 0.5 個食べる。
その時代の教科書は、その時代の世界を写してる#
和算の教科書である「割算書」を読んでいると、その冒頭から聖書「創世記」が登場したりする。 その時代の教科書は、その時代の世界観をリアルタイムに反映している。 だから、数学の教科書でも、現代から眺めて見れば、その時代のニュースであったり世界観あるいは歴史観を写し出している。 そんなことを思い浮かべながら本を読んでいると、とても面白い。