浪華(なには)の町境界で「二面町」を眺める('24.06.09)#
なにはなくても八百八橋#
和算の「ケーニッヒスベルクの橋の問題」をしばらく眺めてきた。 それはたとえば、 『なにわ十六橋智恵の渡り』には「オイラー閉路」が存在する。('24.06.06)や 『なには八ツ橋智恵の渡り』で橋渡り('24.06.05)の和算書での源流は、眞元算法(1845年)の『浪華二十八橋智慧渡』という問題だ。 かつては大きな湖だったり、あるいは海湾だった大阪の街には、浪華(なには)八百八橋と言われるほど、たくさんの橋がかかっている。 その橋渡り問題を、しばらく考えてきた。
通りや筋が東西南北に走る街#
10日くらい前、通りが東西南北のデカルト座標状に走る京都で、街の境界線が不思議に描く45度傾いた模様を眺めた( 京都の町境界を描き「両側町」を眺めてみる('24.05.26)# )。 そして、通りに面して町ができる「両側町」という歴史を眺めた。 今日は、大阪浪華(なには)の街の、現在の街境界を描いて、「両側町」を眺めてみようと思う。
まずは、Geoshapeリポジトリ > 国勢調査町丁・字等別境界データセット > 標準地域コード 一覧から、大阪中央部の町境界をTopoJSON形式でダウンロードする。 そして、前回同様に町境界をインタラクティブに描画してみる。
Show code cell source
# foliumパッケージを使う
import folium
# TopoJsonデータ
topojson_files={
'中央区':'r2ka27128.topojson',
'北区':'r2ka27127.topojson',
'天王寺区':'r2ka27109.topojson',
'福島区':'r2ka27103.topojson',
'浪速区':'r2ka27111.topojson',
'東成区':'r2ka27115.topojson',
'西区':'r2ka27106.topojson'
}
# 中心とする緯度経度(心斎橋駅)
kyoto = [34.679038673673155, 135.50934166707958]
# 地図を作る
def create_map(zoom_level):
fmap = folium.Map(
location=kyoto,
zoom_start=zoom_level,
attr='OpenStreetMap & GeoNLPプロジェクト'
)
for k,v in topojson_files.items():
topojson_path = './data/day_240609_'+v
folium.TopoJson(
data=open(topojson_path, encoding='utf-8'),
object_path='objects.town',
name=k
).add_to(fmap)
folium.LayerControl().add_to(fmap)
return fmap # 表示
create_map(14)
大阪城から東西に走る通りで作られた「二面町」#
描かれた地図を眺めてみると、大阪中心部は、南北に走る道を基準とした「二面町」であることがわかる。 つまり、南北に向かう路を共有する地域がひとつの町を形成している町だということが見てとれる。 町同士の境界は、道路上にはなくて、道路と道路の間に町境界がある。
大阪の中心部では、東西の路を「通り」と呼び、南北の路は「筋」と称されてきた。 主要な路が「通り」で、補助的な路が「筋」だ。 それは、大阪城をデカルト座標の原点に、そこから東西に延びる路が主要な方向だったからだ。 京都では、御所から延びる路は南北方向だったが、大阪では大阪城を基準にして、東西方向が重要な軸となる(下図)。 だから、東西方向に延びる道路の真ん中を境として、東西に長い長方形状の町境界線が描かれている。 そんな歴史が見てとれる。
町境界や橋の数に、歴史の必然が隠れてる#
浪華(なには)の町境界が、大阪城から延びる東西方向の路から生まれたものならば、川や水路に掛かる橋にも、そんな歴史が隠れてる。 たとえば、大阪城を防御するために、『浪華二十八橋智慧渡』の時代から、大阪城に近い方向ほど橋の数が少ない。 過去だけでなく、現在に至るまで、地図を眺めていると過去の歴史が浮かび上がってくるのは、とても面白い。